ご心配をおかけしております。
1月18日に師匠古今亭志ん駒が亡くなりました。
81歳でした。
お弔いが終わり少し落ち着きましたが、
心にぽっかり穴が空いた感じがします。
大学2年のとき、
池袋演芸場で初めて見て衝撃を受けました。
黒紋付に坊主頭、威勢のいい喋りに、
このおじさんは絶対チャキチャキの江戸っ子だ!と思いました。
あとで聞いたら、チャキチャキの埼玉県川口っこでした。
入門のお願いは浦和市民寄席です。
楽屋口で、
師匠がどれだけ好きかをしたためたラブレターを渡し、
「弟子にしてください!」と頭を下げました。
緊張で青白い顔をしてたので、
きっと気持ち悪かったと思います。
海上自衛隊出身の師匠は
「兄(あん)ちゃん、その前に自衛隊に行ってこい」
と言いましたが、聞こえないふりをしました。
もしあそこで海上自衛隊に入っていたら、
入隊1分でギブアップし、入門もできなかったでしょう。
聞こえないふりをしたおかげで、
今の駒次があると思うと感慨深いです。
入門のお願いに通っていたとき、
浅草演芸ホールから出てきた師匠が、
「おう兄(あん)ちゃん、飯食おう。すごい定食屋があるんだ。
目白にしかないから、ついてこい」。
どんなすごい定食屋なんだろうと楽しみにしていたら、
大戸屋でした。
しかも、
師匠がうどんとソースカツ丼のセットプラス麻婆丼という
とてつもない量を頼んだため、
甘ちゃん大学生だった駒次は全て食べられず、
その食べ残しを前座だったさん助兄さん(当時さん角)と文菊兄さん(菊六)が
無理矢理平らげてくれるという、地獄絵図が繰り広げられました。
1ヶ月ほどで入門が叶いました。
当時、師匠は66歳でしたが
海上自衛隊で鍛えたせいか、
ものすごく元気で、ものすごく厳しかったです。
そんなところに、
文系の上に吹奏楽部という非力な人間が入ったので、
相当イライラしたと思います。
しくじるたびに、
「自衛隊行かすぞ!」と何度も脅されました。
聞こえないふりをするのが大変でした。
玄関のモップがけをしていたら
「そんなことでハアハア言いやがって。
情けねえ。俺の手を触ってみろ。どうだ!」
とても分厚い手でした。
肉体も、66歳とは思えないくらい立派で、
よく楽屋で自慢していました。
何年か前、師匠と病院に行くのに手を繋いでいたら、
「お前はごつい手えしてんね」と言われました。
たった十数年で、こんなに変わるんだなあと、
しみじみしました。
語りつくせないことはたくさんありますが、
それはまたいつかお話ししたいと思います。
落語家としても人間としても、
すごすぎる師匠のようには決してなれませんが、
駒次もなんとか頑張っていきますので、
どうぞ応援いただきますよう、よろしくお願いいたします。
師匠、ありがとうございました!